「ものの見方について」

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「ものの見方について(角川文庫/笠信太郎著)」という本が、昭和32年8月30日に発行されました。私たちの担任は、発刊したばかりのこの本を買って読む様に、勧めました。本屋に跳んで行って、私は買ったのです。福岡の修猷館から東京商科大学(現一橋大学)、大原社会問題研究所、朝日新聞に勤め、49歳で論説主幹に就き、退社するまで、それを務めた人で、「天声人語」も書き続けた人でした。

 その笠氏が、ドイツや、欧州諸国に滞在した経験も踏まえて、『西欧になにを学ぶか。』という目的で、この本を書いたのです。買って読んでも難しくて、戦後初等教育を受け終わったばかりの12歳の私には、歯が立ちませんでした。無くしては買って、先月、古書店からまた買ったのです。「九州大学文学部社会学専攻」の「◯◯蔵書」と印が押された古本で、よく読み込んだものです。

 この九大の学生が買い求めて読んだ頃に、中1の私が読んでいたのだと思い、『けっこう担任は、背伸びをさせようとしたんだな!』と、60年以上も前のことを思ってみたのです。何か、懐かしい友に再会した様で、なんとも言えませんでした。多分、この本から始まって、〈本の虫〉になっていたのだと思います。先日は、ある本の最後の頁の内容を思い出したのです。はっきりと読みたくなって、ネットのサイトにある古書販売から、その一冊を買ったのです。その箇所を読んだら、懐かしい恋人に、もう一度出会えた様でした。二十代後半に出会った本だったからです。

 さて、「ものの見方について」ですが、冒頭に、「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そして、スペイン人は、走ってしまった後で考える。」、これは、国際連盟の事務局長をしたマドリヤーガ(スペイン人の外交官)が言ったことだそうです。それに、笠氏は、「ドイツ人もどこかフランス人に似ていて、考えた後で歩き出す、といった部類に属する。」と付け加えています。

 『では、日本人はどうするのだろう?』、そう、私は思ったのです。その結論を知りたくて、読み進めたのを覚えています。日本人は、自分の〈日本人たること〉をはっきりさせたかったのだろうと思うのですが、明治以降、多くの「日本人論」が著されています。『代表的日本人(内村鑑三著)』、『武士道(新渡戸稲造著)』、『日本風景論(志賀重昂著)』、『茶の本(岡倉天心著)』、『風土(和辻哲郎著)』、『「甘え」の構造(土居健郎著)』、などが書かれています。私も読んだ本です。

 どうも、『自分は誰か?』、『何処から来て、何処へ行くのか?』の答えを得ないと落ち着かないのが、日本人なのかも知れません。そうでないと、不安に駆られてしまうからです。4人の私たちの子が、新しくできた《実家》に、やって来ること、来たいとの願いに、両親に会って、《子たること》を確かめたいのも、一つにはあるのかなって思ってしまいます。いや、単に会いたいからでしょうか。

 『・・・血気にはやって自分たちが現にやっていることの意味や重みを忘れて突っ走ってしまうようなところは、フランス人に似・・・「理論」といったものにはずいぶん引きずり廻されたというような点では、ドイツ人に似て・・・』と、日本人について、表て向きなことを言ってから、イギリス人、フランス人、ドイツ人、そして日本人を具体的に述べて、ご自分の論を進めています。60年以上前の本ですが、自分を知るのには、日本人であることを知るのには、今でも一読に値します。

 〈日本人であること〉は、私にとって、今になると、もう全くというほどに拘わらなくなっています。《一人の人としてどうであったか》の方が大切になってしまったからです。しかも〈何をしたか〉よりも、《どの様に人や物事と対峙したか》の方が重要に思うのです。そして正しくものを見、判断したかを自分に問う今でもあります。

(〈フリー素材〉でイギリス、フランス、ドイツのパン、そして田辺玄平の発案のコッペパンです)

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